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檜原村で「総合計画」をまなぶ会を開催しました 檜原村で「総合計画」をまなぶ会を開催しました

1月11日に、檜原村のやすらぎの里3Fホールにて「『総合計画』をまなぶ会」を開催しました。

突然の呼びかけにも関わらず、50名ほどのみなさんに集まっていただきました。ありがとうございました。

まず、埼玉大学の石阪先生から、「総合計画とは何か」の基本的な解説をしていただきました。
総合計画の策定は現在では法的な義務ではないもののほとんどの自治体が作成しており、例えるならば「国で言うところの憲法のようなもの」として、あらゆる村政の基礎となるものであること。
大きく基本構想・基本計画・実施計画の三層構造になっていること、5年ごとに見直しの機会があること、通常は2年くらいかけて策定することが多く、かける予算や方法、住民参加の度合いも自治体によって様々であることなどがよくわかりました。

また、他地域の事例(石阪先生が審議会の会長として関わった事例)として、市長が代わって総合計画を見直した三重県名張市、総合計画策定中に市長が交代した埼玉県草加市の事例を紹介していただき、大変参考になりました。
次に、企画財政課の岡部主幹に来ていただいて、今回の策定の経緯と内容の説明していただきました。

スタートは、令和4年10月に前坂本村長から総合計画策定審議会に諮問(議論して意見をまとめて出してほしいと依頼)したところから。それと並行して役場から村民に総合計画のアンケート調査を実施したこと。
審議会の下に内容別に4つの部会があり、実際の議論はそれぞれの部会の方で内容を審議したこと。
その後令和5年5月に村長が変わり、各部会で新村長の公約が総合計画の中に位置付けられるように調整はされたが、内容の骨子が大きく変わることはなく、令和5年の11月末に審議会会長から吉本村長に答申(第六次総合計画案の提出)がなされたこと。
村ではその案をそのまま公開し、現在パブコメ(村民からの意見募集)が行っていること。
内容としては、現行の第五次総合計画をベースに追記や一部変更がなされたものの大きく変わることなく、網羅的に不足ない計画になっている、とのことでした。

次に再度石阪先生より、檜原村の現在の状況として審議会がすでに終了しているため、その骨子に関わるような大きな変更をするのは「なかなか難しい」タイミングであること、しかしパブコメに多く意見が寄せられれば、それを反映した追記や修正はあり得ること、そして、新しい村長のもとで「新しい」総合計画を作るのであれば、次の見直しのタイミングである5年後に向けて、今から準備を進めるのが現実的なのではないか、というお話がありました。
ここまでが前半。

後半は村民が小グループに分かれて自由に意見交換を行い、出た意見や感想を共有しました。そこでは「総合計画というもの自体よくわからなかったので知れてよかった」「総合計画に書かれていなければできないということは逆に言えば書かれていればそれを村に求めていけるということ、だから大切だとわかった」「きちんと後で計画がどのように実行されたかわかるように、検証可能な目標を入れてはどうか」など活発な意見が出ました。グループごとに、初めて話す人がいたり、20代からお年寄りまで幅広い年齢層、移住者も村で生まれ育った人も一緒になって村の未来について語り合う、良い時間になりました。
最後に、石阪先生から「若い人も多く村民の関心の高さに驚いた」「通常は総合計画策定にあたって行政が住民参加のワークショップなどを開催し意見を聴取することはあるが、もしこの様子で住民が主体となって5年後に向けて総合計画の案を作り行政に提案していくようなことがあれば、そういう例は聞いたことがない、檜原村がその第一号になる可能性もあり、とても興味深い」とのお言葉もいただきました。

以上、非常に濃い2時間であったため、うまくまとめきれない部分もありますが、開催報告でした。

進行については「もっとこうすればよかったな」と反省点もありますが、
村人が世代や立場を超えて、未来の村づくりに重要な「総合計画」について学び、いっしょに語り合う機会を作るという趣旨は達成できたのではないかと思います。
ご参加の皆様、関心を寄せていただいた皆様、ありがとうございました!

【会計報告】
会場に置いたカンパ瓶には40,500円のカンパが集まりました。
そこから、チラシ印刷費用、新聞折込費用(開催前・開催後)、講師の先生への謝礼(お脚代として)の開催コストを引いた全額を檜原村役場を通じて能登半島地震の義援金として寄付します。
ご協力ありがとうございました。